甲信越戦国大名割拠図



 四方を山に囲まれた甲斐国、戦国大名武田氏は甲斐国守護として鎌倉初期より同国に勢力を培ってきたのである。南北朝の動乱期には滅亡の危機に瀕したこともあった。守護代跡部氏に国を押領されたこともある。さらには、国内に割拠した一族たちとの同族争いを乗り越え、ついに信虎の時代に至って甲斐一国統一を成し遂げたのである。
 そして、その信虎を追放して甲斐国主となったのが、武田晴信すなわち信玄である。信玄は野望をもって近隣諸国への侵攻を企て、信濃国をはじめとして、上野・飛騨そして、今川義元戦死後の駿河・遠江へとその野望を広げて入った。その間、信玄が行った周辺諸豪との謀略、合戦は、まさに甲信越戦国史そのものであった。
 元亀三年、信玄は野望の仕上げともいうべき上洛軍を起こし、甲斐国を後にした。しかし、歴史は信玄の野望を実現させてはくれなかった。上洛の途中で宿阿ともいうべき病の再発によって上洛を断念、帰国の途についたが信州駒場で、雄図むなしく死去したのであった。享年五十三歳。
 それから十年、信玄の跡を継いだ勝頼が天目山で織田軍の手によって滅亡。戦国大名武田氏は歴史の舞台から消えて入った。





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