小川氏
五三の桐
(藤原姓?)
・小川氏の家紋は不詳。丹生川上
 神社中社の神紋を仮に掲載。  

 吉野郡を代表する有力国人の小川氏は、南北朝期に存在が知られる藤原弘重を祖とする在地土豪であった。代々にわたって延喜式内社の吉野丹生神社(現丹生川上神社中社)の神職を務め、後に興福寺大乗院門跡の支配下に入って国民に列し、代官職などを請け負った。
 全盛期は小川弘光の時期で、長禄二年(1458)に後南朝勢力が所持していた神爾を奪還した功績によって名を挙げた。のちに龍門庄の所有を巡って多武峰勢力と争論、合戦にも及んだが、けっきょく所有には至らず、かわりに宇陀郡四郷(大熊、平尾、片岡、下片岡)を獲得している。
 戦国期には小川弘茂らが活躍、宇陀郡にも勢力を保ち、享禄五年(1532)には秋山国堅らの呼びかけに応じて宇陀郡内一揆の盟約に参加した。しかし筒井順慶が天正六年(1578)に吉野郡を制圧したのにともなって勢力を失って逼塞し、天正十五年(1587)には最後の当主小川次郎が当地を捨てて流浪し没落した。子孫は多くが伊勢国へ移ったとされる。 

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【資料:奈良県史 ほか】

■参考略系図