安芸内藤氏
下り藤に五曜
(藤原氏利仁流)

    
 建保四年(1216)、厳島神社領の地頭に補任され、それ以降この地の小領主となった。戦国時代、内藤中務丞元泰の代に毛利氏の麾下に入った。そして、元泰の曾孫伊勢守元泰は、毛利輝元を烏帽子親として元服した。
 出雲尼子氏が毛利氏に降ったのち、毛利氏の命により、尼子義久、倫久、秀久兄弟を領内の長田円明寺に収容し、その警備にあたった。そのため、軍役や諸公役は免除されたが、さいさいにわたって役目返上を申し出ている。
 元亀三年(1572)の浦上氏攻めに際して、宇喜多氏への加勢として出陣した。また、備後衆の検使を行い備前方面の戦闘の数々に参戦、子孫は萩藩士として続いた。

■参考略系図
・『向原町史』所収の系図をもとに作成。