飯坂氏
九曜カ?
(藤原姓伊達氏流)

    
 念西の四男為家は信夫郡飯坂(福島市)に起こった飯坂氏の祖とされる。為家の四代小次郎政信(為家−塚目二郎為時−伊達中村小次郎家綱−家信、その弟政信)の代に飯坂を号したという。政信の後は、その子小次郎俊信(暦応三年死、年63)、その子小次郎近信……と続いた。

  戦国期の当主飯坂右近宗康には男子が無く、宗康の娘が伊達政宗の側室となったことで、政宗の子・権八郎宗清が飯坂の名跡を継いだが、宗清にも子がなく、その後も桑折氏などから次々に養嗣が入った。遂には、原田甲斐の事件に巻き込まれ、寛文中に飯坂家は断絶している。

 権八郎宗清は黒川郡吉岡(大和町)に住んで、吉岡八幡宮を建て黒川郡の総鎮守とした。また、飯坂重房の次男豊房は、応永の上杉禅秀の乱に功があり(伊達持宗に属して戦功ありともいう)、信夫郡余目庄の下飯坂・佐葉野等を与えられ、下飯坂氏を号した。 【古代および中世氏族の系譜関係】 http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihumokuji.htm  

■略系図