河崎氏
亀甲四つ目結
(調姓黒木氏支流)
河崎氏は黒木・星野氏と同じく、「調一党」である。大蔵大輔助能の長子貞宗が現在の八女氏北部の地六百町歩を領して、犬尾城を居城として河崎氏を称したことにはじまる。
戦国期の当主は河崎鎮堯で、かれは秀吉の九州征伐に際して参礼せずに除封処分を受けた。その領地は筑紫広門に与えられ、鎮堯の子孫は鍋島氏の家臣になった。河崎氏が拠った犬尾城祉は、いまでも空濠の跡がはっきりと残っている。家紋は、宗家黒木氏と同じく「亀甲四つ目結」とされている。
■参考略系図