安部氏
丸に梶の葉/六連銭
(諏訪神族/滋野氏) |
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南北朝時代、信濃の諏訪神社を中心に、神家一党といわれた集団が、南朝方のあめに働いた。すなわち、後醍醐天皇の皇子宗良親王を擁し、最後までがんばった。そのなかに安部氏の先祖もいたとされる。
集団は、諏訪信仰からこれを明神とした、そして諏訪明神の神紋である「梶の葉」を結団のしるしとしたが、南朝方振るわず、初志を貫きえないまま各地に散っていった。安部氏は駿河の安部谷に移り住んで、安部氏を称した。本来は北信濃の真田氏と同じく海野氏を名乗っていた。大きくいって、信濃の名族であり大族である滋野氏の一族である。その証ともいうべき、「連銭」紋も安部氏を旗紋としていたことが知られている。
安部谷に移住してからは、先の「梶の葉」と「六連銭」を旗紋として、はじめ駿河の今川家に属していた。今川氏が没落してのちは徳川家に属した。とくに、家康自立期における安部元真、小牧・長久手における次代信勝のはたらきがよく知られている。
安部家の関東移住は、後北条氏の没落後の家康の関東入国にともなうもので、はじめ信勝がえたのは武蔵の岡部に五千石であった。次代の信盛のとき、三河、摂津の地を加えて、慶安二年(1649)一万九千石の大名に列した。知行はその後多少の増減はあったが、大体二万石を保持した。
この間いくつもの庶流家を出している。家紋はいずれも「丸に梶の葉」「丸に三つ引両」「六連銭」であった。大部分は「丸に梶の葉」を定紋にしたが、「丸に三つ引両」「六連銭」を定紋にした家もあった。
■参考略系図
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