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戦国時代、伊勢新九郎長氏を初代とする小田原北条氏五代を、鎌倉時代の執権北条氏と区別して「後北条氏」と呼んでいる。古来北条早雲といえば、美濃の斎藤道三と並び称される下剋上大名の典型例といわれてきた。早雲自身は自分の出自については何も語っていない。ただ、永正三年の彼の書簡のなかで、伊勢の関氏と名字が一体であるといっているだけである。さて、早雲は、妹が今川義忠の室となり、子竜王丸を生んでいたことからその食客となり、義忠が不慮の死を遂げると竜王丸擁立反対派との戦いを経て、今川七代の家督に据えることに成功した。その功によって、駿河国富士郡に所領を与えられ、興国寺城に拠った。こうして、早雲は日本の中世を破り、戦国時代の扉を開くことになるのである。
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